ドラマ『明日、ママがいない』についての私考
ドラマ『明日、ママがいない』がいたって評判がよろしくない。
仕方のない事だと思う。
福祉施設の仕事に長く携わっていた私にとっても、不愉快きわまりないドラマです。
テレビ局はドラマの初期設定に失敗したという感じですね。おそらく綿密な下調べや考証もせずに作ってしまったのでしょう。
それとも逆にウケをねらって意図的に変なドラマを作ったのでしょうか。
児童福祉施設というものや、それに関わる福祉行政というものをしっかりと勉強した上で作られているとは思えません。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140121-00000095-jij-soci&pos=3
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140123-00000016-pseven-soci
芦田愛菜を主役という構想のもとで作られたのでしょうが、舞台設定があまりにも無知でお粗末でした。
もともとドラマはフィクションだからそんなに目くじらを立てる事はない。
よくドラマの舞台とされる警察や病院にも変な刑事や医者が出てくるが、誰も何とも言わないじゃないか。
という風におっしゃる方もいるでしょうが・・・。
でも警察や病院は社会に直接馴染みのある存在で、どんなところか、知る人も多いはずです。
でも児童養護施設はそんなに有名じゃないんですよ。
「孤児院!」と時代錯誤的な呼び方をする人もいるし、「児童養護施設は悪い事をした子供が入れられている」と思っている人もいます。
「少年院」と間違っているんですね。
その程度しか知識がない世間が、ああいうドラマを見せられると、「ああ、やっぱりああいう施設は不潔で、職員の程度も低いし、ろくな子供が育たない」と間違った偏見を持ちかねないのです。
まるで産業革命の頃を扱ったミュージカル「オリバー」の時代の物語のようです。
病院の変な医師や警察の変な刑事はそれなりに富と権力を持っています。でも施設職員や施設の子供達には富も権力もないのです。反論する術もありません。
社会問題を提起した良いドラマだとか、表現の自由を圧殺するのかという意見もあるようですが、児童養護の問題を議論したいのなら、まず、まともな取材をして、実態と現状を社会に知らせる事から始めるべきでしょう。その上で問題提起をするべきでしょう。変なドラマでは社会喚起はできません。
また、表現の自由により、人権が侵されのであれば、それは本末転倒です。人権の保護は表現の自由に優先されるはずです。
二回ほど見ただけではこのドラマの良さがわからない、全編を見てこのドラマの主張したい事を判断してほしいと、ドラマの継続を希望する人もいるかも知れない。おそらく回を追うごとに育児放棄や虐待、施設のあり方、ひいては児童福祉に対する行政の不備・怠慢などにも踏み込んで、いろいろな問題点を掘り起こしていくのかも知れないが、それにしてもその前提がお粗末だ。
例えれば、
どんなに美辞麗句を並べてもそれが嘘では信用されない。
立派なお屋敷でも玄関が汚くては、誰も訪問してくれない。
どんなに運転技術が巧みでも、酒酔運転や法律を守らない運転は賞賛に値しない。
もしどうしても児童福祉に対して、もしくは親子の情愛に対して世間の人に訴えたいというのなら、今すぐドラマを放送中止して、あらためて1,2回分を脚本を書き直してから後日再開すればいい。
施設の実態や現状を徹底的に取材し、考証し、真の問題点を掘り起こす。それでこそほんとうの社会派ドラマと言える。
そんな事どうでもいい、視聴率さえ取れて、話題になれば勝ち、という気持ちならば、いつか、しっぺ返しを喰らうでしょう。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20140125-00031838/
ドラマ『明日、ママがいない』がいたって評判がよろしくない。
仕方のない事だと思う。
福祉施設の仕事に長く携わっていた私にとっても、不愉快きわまりないドラマです。
テレビ局はドラマの初期設定に失敗したという感じですね。おそらく綿密な下調べや考証もせずに作ってしまったのでしょう。
それとも逆にウケをねらって意図的に変なドラマを作ったのでしょうか。
児童福祉施設というものや、それに関わる福祉行政というものをしっかりと勉強した上で作られているとは思えません。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140121-00000095-jij-soci&pos=3
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140123-00000016-pseven-soci
芦田愛菜を主役という構想のもとで作られたのでしょうが、舞台設定があまりにも無知でお粗末でした。
もともとドラマはフィクションだからそんなに目くじらを立てる事はない。
よくドラマの舞台とされる警察や病院にも変な刑事や医者が出てくるが、誰も何とも言わないじゃないか。
という風におっしゃる方もいるでしょうが・・・。
でも警察や病院は社会に直接馴染みのある存在で、どんなところか、知る人も多いはずです。
でも児童養護施設はそんなに有名じゃないんですよ。
「孤児院!」と時代錯誤的な呼び方をする人もいるし、「児童養護施設は悪い事をした子供が入れられている」と思っている人もいます。
「少年院」と間違っているんですね。
その程度しか知識がない世間が、ああいうドラマを見せられると、「ああ、やっぱりああいう施設は不潔で、職員の程度も低いし、ろくな子供が育たない」と間違った偏見を持ちかねないのです。
まるで産業革命の頃を扱ったミュージカル「オリバー」の時代の物語のようです。
病院の変な医師や警察の変な刑事はそれなりに富と権力を持っています。でも施設職員や施設の子供達には富も権力もないのです。反論する術もありません。
社会問題を提起した良いドラマだとか、表現の自由を圧殺するのかという意見もあるようですが、児童養護の問題を議論したいのなら、まず、まともな取材をして、実態と現状を社会に知らせる事から始めるべきでしょう。その上で問題提起をするべきでしょう。変なドラマでは社会喚起はできません。
また、表現の自由により、人権が侵されのであれば、それは本末転倒です。人権の保護は表現の自由に優先されるはずです。
二回ほど見ただけではこのドラマの良さがわからない、全編を見てこのドラマの主張したい事を判断してほしいと、ドラマの継続を希望する人もいるかも知れない。おそらく回を追うごとに育児放棄や虐待、施設のあり方、ひいては児童福祉に対する行政の不備・怠慢などにも踏み込んで、いろいろな問題点を掘り起こしていくのかも知れないが、それにしてもその前提がお粗末だ。
例えれば、
どんなに美辞麗句を並べてもそれが嘘では信用されない。
立派なお屋敷でも玄関が汚くては、誰も訪問してくれない。
どんなに運転技術が巧みでも、酒酔運転や法律を守らない運転は賞賛に値しない。
もしどうしても児童福祉に対して、もしくは親子の情愛に対して世間の人に訴えたいというのなら、今すぐドラマを放送中止して、あらためて1,2回分を脚本を書き直してから後日再開すればいい。
施設の実態や現状を徹底的に取材し、考証し、真の問題点を掘り起こす。それでこそほんとうの社会派ドラマと言える。
そんな事どうでもいい、視聴率さえ取れて、話題になれば勝ち、という気持ちならば、いつか、しっぺ返しを喰らうでしょう。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20140125-00031838/