「さくらしめじ」の「せきがえのかみさま」について
子供が頭を横に傾けた格好、いわゆる「小首を傾げて」いる格好です。
つまりこんなの。
本来の「小首を傾げて」の意味は、不審に思ったり不思議に思ったりして首をちょっと傾ける事ですが、今回の場合は、子供自身が相手の同意を求めたり、物事を渇望する時の手段として使われるといった時の「小首傾げ」です。
これは大人にとっては、「子供による可愛さの表現であり」、大人としての威厳と優越感を味合わせてくれる子供の武器でもあります。
そして子供はその事を、両親と生活する上で、経験的に学習してきたわけです。早く言えば子供自身が小首を傾げると親が喜んでくれる事を知っているからやっているわけです。
ですからこれを大人がやるとひじょうに気持ち悪い。成人男性がこれをやると気持ち悪いのは当然ですが、成人女性がこれをやると、気持ち悪いと同時に裏に何か打算的・色情的な思惑が隠されているのではないかと勘ぐってしまいます。
さてこれを、大人でもない、子供でもない中間の中学生くらいの男の子がやるとどうでしょうか。小さな子供達がやるのとは違った意味での可愛さが目に見えてきます。
小さな子供というのは社会的に見て、圧倒的に弱い立場にいます。したがって親を含め、社会の大人たちから守って貰わねば生きていけない存在です。でも彼らの首傾げには、直接的で打算的な気持ちはないと思います。生きるために自然とそういった可愛らしさを表現するわけです。つまり無意識の表現です。いわば心の底から出てくる「小首傾げ」なのです。
では中学生くらいの子供はどうでしょう。かなり社会慣れしてきています。そして自我の目覚めにより、社会の矛盾と自分の置かれた立場を把握し始めています。大人にならなければいけないと思う反面、いつまでも子供でいたいという気持ちは誰でも理解できると思います。しかし、周囲は確実に彼らを大人へと引き上げようとします。否応なしに子供世界から卒業しなければなりません。特に男子はほぼすべてが、社会に出て、それを形成する歯車となり、さらに家庭においては家族守る立場に立つわけです。いつまでも子供でいたいなどとは言っておられません。それだけの責任を負わされるのです。
でもまだいいじゃない? という甘えの気持ちが残っているのも事実です。またそれを許容する風潮もあることも事実です。自分自身、大人になりたいという気持ちと、甘えたいという気持ちの葛藤がそこに生まれてきます。そうした状況下で行われる小首傾げは何とも不思議、なおかつ新鮮な表情で持って表現されます。
その表情というのは、一般的にいうと、つまり「照れ」です。羞恥をともなった小首傾げは、小さな幼児の小首傾げとはまた違った感情を大人に与えてくれます。向上心を持った人間のこころの片隅にある弱みを垣間見せてくれるのです。それはまた、子供の可愛さとは違った可愛らしさなのです。
********************************
というわけでやっと本題に入ります。。
さくらしめじの「せきがえのかみさま」という楽曲の動画がアップされています。ライブを遠方から撮影したもので、二人の表情も見えないし、音も割れていますがけっこう聞き取れます。
どういう歌の内容かといいますと、ある男の子が、同じクラス内に好きな女の子がいて、席替えの時期になると、隣の席に座りたいなーと席替えの神様にお願いする歌です。でもなかなか願いが叶わず、成績も落ちてしまうといった、可愛らしくて、楽しくてかつ非情な歌です。あまりにもピュアな歌詞なので、もしかしたら彪我君の作詞かなと思いましたが違ってました。
この歌、多分に彪我君の独唱の部分が多く、彪我ファンにとっては、たまらない動画でしょう。もっと大きな画面で、もっと綺麗な音響設備の場で歌っているところを見たいものです。
歌っている途中で、小首を傾げたり、自分の頭をぽんと軽く叩いたり、また裏声を出したり、タンバリンを多用したり、いろいろなテクニックを見せてくれます。
歌詞のほうは動画サイトで見て頂ければ、ファンの方が聴き取りしたものを紹介してくれています。
その一部分。
期待増すばかりクラス替えです あこがれのあの子と同じ組
キミのとなりに座りたいんだ せきがえのかみさま カモン
お花みたいな君の 笑顔は素敵 みとれていたんだ
体育の時間ムダにはりきる 見てくれた? ぼくのこと
この4行目の「見てくれた?」の「た」のところで彪我君が小首を傾げて歌ってくれています。
中学生の男の子が好きな女の子に対して、まるで小さな子供のようになって、自分の気持ちを照れながらアピールする。その純粋さが溜まらなく可愛いですし、またそれを彪我君が高い声で歌うとより、いっそう可愛く見えてしまうのです。
照れながら小首を傾げるってこんな感じかなーと思います。首だけでなく身体も傾いていますが・・・。
おまけ
子供が頭を横に傾けた格好、いわゆる「小首を傾げて」いる格好です。
つまりこんなの。
本来の「小首を傾げて」の意味は、不審に思ったり不思議に思ったりして首をちょっと傾ける事ですが、今回の場合は、子供自身が相手の同意を求めたり、物事を渇望する時の手段として使われるといった時の「小首傾げ」です。
これは大人にとっては、「子供による可愛さの表現であり」、大人としての威厳と優越感を味合わせてくれる子供の武器でもあります。
そして子供はその事を、両親と生活する上で、経験的に学習してきたわけです。早く言えば子供自身が小首を傾げると親が喜んでくれる事を知っているからやっているわけです。
ですからこれを大人がやるとひじょうに気持ち悪い。成人男性がこれをやると気持ち悪いのは当然ですが、成人女性がこれをやると、気持ち悪いと同時に裏に何か打算的・色情的な思惑が隠されているのではないかと勘ぐってしまいます。
さてこれを、大人でもない、子供でもない中間の中学生くらいの男の子がやるとどうでしょうか。小さな子供達がやるのとは違った意味での可愛さが目に見えてきます。
小さな子供というのは社会的に見て、圧倒的に弱い立場にいます。したがって親を含め、社会の大人たちから守って貰わねば生きていけない存在です。でも彼らの首傾げには、直接的で打算的な気持ちはないと思います。生きるために自然とそういった可愛らしさを表現するわけです。つまり無意識の表現です。いわば心の底から出てくる「小首傾げ」なのです。
では中学生くらいの子供はどうでしょう。かなり社会慣れしてきています。そして自我の目覚めにより、社会の矛盾と自分の置かれた立場を把握し始めています。大人にならなければいけないと思う反面、いつまでも子供でいたいという気持ちは誰でも理解できると思います。しかし、周囲は確実に彼らを大人へと引き上げようとします。否応なしに子供世界から卒業しなければなりません。特に男子はほぼすべてが、社会に出て、それを形成する歯車となり、さらに家庭においては家族守る立場に立つわけです。いつまでも子供でいたいなどとは言っておられません。それだけの責任を負わされるのです。
でもまだいいじゃない? という甘えの気持ちが残っているのも事実です。またそれを許容する風潮もあることも事実です。自分自身、大人になりたいという気持ちと、甘えたいという気持ちの葛藤がそこに生まれてきます。そうした状況下で行われる小首傾げは何とも不思議、なおかつ新鮮な表情で持って表現されます。
その表情というのは、一般的にいうと、つまり「照れ」です。羞恥をともなった小首傾げは、小さな幼児の小首傾げとはまた違った感情を大人に与えてくれます。向上心を持った人間のこころの片隅にある弱みを垣間見せてくれるのです。それはまた、子供の可愛さとは違った可愛らしさなのです。
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というわけでやっと本題に入ります。。
さくらしめじの「せきがえのかみさま」という楽曲の動画がアップされています。ライブを遠方から撮影したもので、二人の表情も見えないし、音も割れていますがけっこう聞き取れます。
どういう歌の内容かといいますと、ある男の子が、同じクラス内に好きな女の子がいて、席替えの時期になると、隣の席に座りたいなーと席替えの神様にお願いする歌です。でもなかなか願いが叶わず、成績も落ちてしまうといった、可愛らしくて、楽しくてかつ非情な歌です。あまりにもピュアな歌詞なので、もしかしたら彪我君の作詞かなと思いましたが違ってました。
この歌、多分に彪我君の独唱の部分が多く、彪我ファンにとっては、たまらない動画でしょう。もっと大きな画面で、もっと綺麗な音響設備の場で歌っているところを見たいものです。
歌っている途中で、小首を傾げたり、自分の頭をぽんと軽く叩いたり、また裏声を出したり、タンバリンを多用したり、いろいろなテクニックを見せてくれます。
歌詞のほうは動画サイトで見て頂ければ、ファンの方が聴き取りしたものを紹介してくれています。
その一部分。
期待増すばかりクラス替えです あこがれのあの子と同じ組
キミのとなりに座りたいんだ せきがえのかみさま カモン
お花みたいな君の 笑顔は素敵 みとれていたんだ
体育の時間ムダにはりきる 見てくれた? ぼくのこと
この4行目の「見てくれた?」の「た」のところで彪我君が小首を傾げて歌ってくれています。
中学生の男の子が好きな女の子に対して、まるで小さな子供のようになって、自分の気持ちを照れながらアピールする。その純粋さが溜まらなく可愛いですし、またそれを彪我君が高い声で歌うとより、いっそう可愛く見えてしまうのです。
照れながら小首を傾げるってこんな感じかなーと思います。首だけでなく身体も傾いていますが・・・。
おまけ