「さくらしめじ」の田彪我君らが本当に可愛い理由
この夏休み、「さくらしめじ」のふたりは東北・中部地方にライブツアーを行った。1日1県の割合でライブを行い、移動していった。かなりのハードな行程であったと思う。生まれて初めてのことだったと思う。そういう私もこんな自動車旅行はしたことがない。
さて、その間にも彼らは地元のラジオ局に何度か出演している。そのひとつ、FM福井の音楽番組にもゲスト出演している。本来なら他県の人はなかなか聴けないが、心あるファンの方がその番組を録音して、動画サイトにアップしてくれていた。それが下にある。
担当DJ の女性は、声だけ聴くと30歳前後かなと思ったが、写真を見るともう少し上かもしれない。そんな事どうでもいいが、やさしい口調だが、ビジネスライクに徹したインタビューを彼らにしていた。内容は特に変わったことはなかった。まず「いくじなし」を生演奏した。ひょうが君の高い声が冴えていた。おそらく椅子に座っての演奏だったかもしれない。でも立派なものだ。
そのあと、彼らのプロフィール紹介やグループ名の由来など、よくある内容のインタビューが続く。
そして最後にCDの「きみでした」が流れて、終了する。
さて、これからが本題。
彼らがスタジオをあとにして、しばらくしてからCDが終わる。そのあと、DJの感想やライブの紹介が入るわけだが、その時のことだ。
まずDJ女性の第一声。
「可愛かったー」
それまで、本人達の前では、低い声で落ち着いた口調のインタビューをしていたが、彼らの姿が見えなくなった途端に、まるで胸の奥で沸々と沸き立っていた情感を爆発させるように、おもわず吐露したのである。何か今までに感じたことのない、快絶感を抑えきれなかったのかもしれない。
そして自分がインタビューしたアーティストの中でいちばんの年少者であったことを告げたり、今後の予定を紹介したりする。
そしてまた、最後に再度、
「可愛かったー」とつぶやくのである。
今度はまるで十代の乙女に戻って、甘酸っぱい初恋をなつかしく思い出すように。
ここまで聴いて私はふと考えることがあった。
初めて彼らにあった人が、どうしてこんなに感動しているのだろうかと。
たしかに彼らは、可愛いことには違いないが、それ以外にも何かあるのではないか。
そう思ってもう一度聴きなおしてみた。
彼らがインタビューを受けている声を聴きながら、様子を想像していると、思いつくことがあった。これは初めて逢った人だから感じたのだろう。つまり、私のように始終「さくらしめじ」しか見ていない人間にはわからなかったことだ。これはちょっと恥ずかしい事だった。
つまり、彼ら「さくらしめじ」は同年代の中学生アイドル達と比較して、
「おとなしい」のである。
「控え目」なのである。
「従順」なのである。
「奥ゆかしい」のである。
「上品」なのである。
「礼儀正しい」のである。
年上である大人を尊重し、出しゃばらず、自分の立場をわきまえ、自分の為すべき事を為し、できなければ努力し、けっして虚勢を張らない。
本来の中学生には「うるさい」「下品」「図々しい」「文句たれ」「汗臭い」「世間知らず」といった印象があるが「さくらしめじ」のふたりにはこういった中学生らしさを超越した、大人っぽい魅力があるのだ。
最近よく笑うようになった。心の底から楽しそうに。
「可愛い」ということばの奥には「痛々しい」「いじらしい」「かわいそう」といった要素も内含している。
つまり、「さくらしめじ」のふたりには、ただ姿かたちや、顔、声が可愛いだけでなく、本来「可愛い」ということばに内含されているこれら、すべての要素を備えていたのである。
だから、大人達が心の底から素直に「可愛い」と吐露できるし、そして、もうこれ以上の表現方法はないのである。
彼らが「従順」「上品」「礼儀正しい」といった行動をとる背景には家庭環境の影響があるのではないか。
彼らにギターの手ほどきをしたのは、彼らの父親である。
さらにひょうが君は、つい最近のインタビューで、中学生になった今でも母親に3時のおやつを用意してもらっていたという。
母の日には、母親と一緒に「回鍋肉」を作っている。こういった事実を勘案してみると、親と子の関係の親密さが窺われる。
親子関係が親密であれば、当然、親からの躾や子育ての意向がストレートに子供に伝わる。したがって、大人っぽい行動は家庭教育の賜物かもしれない。
「さくらしめじ」を名乗り始めてからの動画を見ると、彼らは、おたがいに名前を呼ぶ時、敬称をつけて呼んでいた。「がく君」「ひょうが君」という風に。
これを見た、悪意ある人はこんな事を言っていた。「さくらしめじのふたりは、本当は仲が悪いのではないか。中学生くらいだと本当に仲が良くなれば、おたがいの名前を呼び捨てにして呼び合う。敬称をつけて呼ぶのは、よそよそしい。仲が悪い証拠だ」と。
しかしこれも経歴や家庭環境によるものと思われる。
ひょうが君の場合、人見知りという性格だったと聞くが、これは対人関係において消極的な態度をとりやすい。よほど心が通じ合う相手でない限り、自分の本音が出せない。まして子供の場合は自分以外の人はほとんどすべて、自分より上位の者であり尊重の念を持って接しなければならない。したがって、敬称をつけて相手の名前を呼ぶことによって、敵意がないことを表明しなければならなかった。
また、家庭内の躾ということもある。家庭によっては自分の子供にさえ、さん付けで名前を呼ぶ親もいる。
また、がく君の場合、ひょうが君より少しだけ芸歴が長い。EBiDANに入る以前より歌手として芸能活動をしている。その分、大人と交わることが多く、徹底して礼儀なども教え込まれたものと思う。
したがって、敬称をつけて呼び合うことは、おたがい相手を尊重していることであり、彼らにとってごく自然の行為なのである。
ただ最近はその親交の密度も進行したのか、呼び方も変わってきている。
がく君はひょうが君のことを「ひょうが」と呼び捨てにすることがある。これは何もその間柄に格差ができたわけではない。家族以上によりいっそう親密度が増した証拠だと思う。少なくとも気持ちの上では。
ひょうが君は、がく君のことを「がくさん」と呼ぶことがある。これも格差の問題ではなく、ひょうが君が誰に対しても、大人の付き合い方を始めた証拠だと思う。
次に楽しい、楽しい画像。
先日からスタダの有料チャンネルで「ぎふと」のミュージックビデオが全編公開されている。
前半部分は動画サイトで無料で誰でも見られるようになっているが、全編を見るには会費を払って有料会員にならなければ見せて貰えない。
というわけでその後半の一部分を連続静止画で見せる。全部見たい人は会員になってから見て下さい。さくらしめじファンの太っ腹なところを見せてやって下さい。
なんと満面の笑みを浮かべて歌っているひょうが君。
以前にも書いたが、まったく表情のない澄まし顔の綺麗なひとは、笑うとボロが出る。歯並びが悪かったり、シワがとんでもないところにできたり、、、。逆に笑い顔のいい人は、澄まし顔になると、急に陰気に見えたり、意地悪に見えたりする。
でもひょうが君はどちらもいい。これは希な存在だ。
例えばこの横並びの笑顔画像は可愛いし、一番上の澄まし顔は美少女よりはるかに綺麗だ。
さて、この横並びのいちばん最後の画像。曲の間奏の時の表情だ。
まずがく君が上から、ひょうが君の顔を覗き込む。するとひょうが君も下から見返す。すると、がく君のほうが何を思ったのか照れて、もしくは恥ずかしくなったのか顔をギターに伏せてしまう。
その様子を見ていたひょうが君は思わずニッコリと微笑み返す。まるで心穏やかならない親友をいたわるようなやさしい微笑み。悲母観音ごとく。
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FM福井 smooth/さくらしめじ20150813
さくらしめじ なにかの下ごしらえ"その2”
【okmusic UP's Gallery】さくらしめじのすくすくスクール ~こくごの時間~ Vol.2「学山母狸のうた」
この夏休み、「さくらしめじ」のふたりは東北・中部地方にライブツアーを行った。1日1県の割合でライブを行い、移動していった。かなりのハードな行程であったと思う。生まれて初めてのことだったと思う。そういう私もこんな自動車旅行はしたことがない。
さて、その間にも彼らは地元のラジオ局に何度か出演している。そのひとつ、FM福井の音楽番組にもゲスト出演している。本来なら他県の人はなかなか聴けないが、心あるファンの方がその番組を録音して、動画サイトにアップしてくれていた。それが下にある。
担当DJ の女性は、声だけ聴くと30歳前後かなと思ったが、写真を見るともう少し上かもしれない。そんな事どうでもいいが、やさしい口調だが、ビジネスライクに徹したインタビューを彼らにしていた。内容は特に変わったことはなかった。まず「いくじなし」を生演奏した。ひょうが君の高い声が冴えていた。おそらく椅子に座っての演奏だったかもしれない。でも立派なものだ。
そのあと、彼らのプロフィール紹介やグループ名の由来など、よくある内容のインタビューが続く。
そして最後にCDの「きみでした」が流れて、終了する。
さて、これからが本題。
彼らがスタジオをあとにして、しばらくしてからCDが終わる。そのあと、DJの感想やライブの紹介が入るわけだが、その時のことだ。
まずDJ女性の第一声。
「可愛かったー」
それまで、本人達の前では、低い声で落ち着いた口調のインタビューをしていたが、彼らの姿が見えなくなった途端に、まるで胸の奥で沸々と沸き立っていた情感を爆発させるように、おもわず吐露したのである。何か今までに感じたことのない、快絶感を抑えきれなかったのかもしれない。
そして自分がインタビューしたアーティストの中でいちばんの年少者であったことを告げたり、今後の予定を紹介したりする。
そしてまた、最後に再度、
「可愛かったー」とつぶやくのである。
今度はまるで十代の乙女に戻って、甘酸っぱい初恋をなつかしく思い出すように。
ここまで聴いて私はふと考えることがあった。
初めて彼らにあった人が、どうしてこんなに感動しているのだろうかと。
たしかに彼らは、可愛いことには違いないが、それ以外にも何かあるのではないか。
そう思ってもう一度聴きなおしてみた。
彼らがインタビューを受けている声を聴きながら、様子を想像していると、思いつくことがあった。これは初めて逢った人だから感じたのだろう。つまり、私のように始終「さくらしめじ」しか見ていない人間にはわからなかったことだ。これはちょっと恥ずかしい事だった。
つまり、彼ら「さくらしめじ」は同年代の中学生アイドル達と比較して、
「おとなしい」のである。
「控え目」なのである。
「従順」なのである。
「奥ゆかしい」のである。
「上品」なのである。
「礼儀正しい」のである。
年上である大人を尊重し、出しゃばらず、自分の立場をわきまえ、自分の為すべき事を為し、できなければ努力し、けっして虚勢を張らない。
本来の中学生には「うるさい」「下品」「図々しい」「文句たれ」「汗臭い」「世間知らず」といった印象があるが「さくらしめじ」のふたりにはこういった中学生らしさを超越した、大人っぽい魅力があるのだ。
最近よく笑うようになった。心の底から楽しそうに。
「可愛い」ということばの奥には「痛々しい」「いじらしい」「かわいそう」といった要素も内含している。
つまり、「さくらしめじ」のふたりには、ただ姿かたちや、顔、声が可愛いだけでなく、本来「可愛い」ということばに内含されているこれら、すべての要素を備えていたのである。
だから、大人達が心の底から素直に「可愛い」と吐露できるし、そして、もうこれ以上の表現方法はないのである。
彼らが「従順」「上品」「礼儀正しい」といった行動をとる背景には家庭環境の影響があるのではないか。
彼らにギターの手ほどきをしたのは、彼らの父親である。
さらにひょうが君は、つい最近のインタビューで、中学生になった今でも母親に3時のおやつを用意してもらっていたという。
母の日には、母親と一緒に「回鍋肉」を作っている。こういった事実を勘案してみると、親と子の関係の親密さが窺われる。
親子関係が親密であれば、当然、親からの躾や子育ての意向がストレートに子供に伝わる。したがって、大人っぽい行動は家庭教育の賜物かもしれない。
「さくらしめじ」を名乗り始めてからの動画を見ると、彼らは、おたがいに名前を呼ぶ時、敬称をつけて呼んでいた。「がく君」「ひょうが君」という風に。
これを見た、悪意ある人はこんな事を言っていた。「さくらしめじのふたりは、本当は仲が悪いのではないか。中学生くらいだと本当に仲が良くなれば、おたがいの名前を呼び捨てにして呼び合う。敬称をつけて呼ぶのは、よそよそしい。仲が悪い証拠だ」と。
しかしこれも経歴や家庭環境によるものと思われる。
ひょうが君の場合、人見知りという性格だったと聞くが、これは対人関係において消極的な態度をとりやすい。よほど心が通じ合う相手でない限り、自分の本音が出せない。まして子供の場合は自分以外の人はほとんどすべて、自分より上位の者であり尊重の念を持って接しなければならない。したがって、敬称をつけて相手の名前を呼ぶことによって、敵意がないことを表明しなければならなかった。
また、家庭内の躾ということもある。家庭によっては自分の子供にさえ、さん付けで名前を呼ぶ親もいる。
また、がく君の場合、ひょうが君より少しだけ芸歴が長い。EBiDANに入る以前より歌手として芸能活動をしている。その分、大人と交わることが多く、徹底して礼儀なども教え込まれたものと思う。
したがって、敬称をつけて呼び合うことは、おたがい相手を尊重していることであり、彼らにとってごく自然の行為なのである。
ただ最近はその親交の密度も進行したのか、呼び方も変わってきている。
がく君はひょうが君のことを「ひょうが」と呼び捨てにすることがある。これは何もその間柄に格差ができたわけではない。家族以上によりいっそう親密度が増した証拠だと思う。少なくとも気持ちの上では。
ひょうが君は、がく君のことを「がくさん」と呼ぶことがある。これも格差の問題ではなく、ひょうが君が誰に対しても、大人の付き合い方を始めた証拠だと思う。
次に楽しい、楽しい画像。
先日からスタダの有料チャンネルで「ぎふと」のミュージックビデオが全編公開されている。
前半部分は動画サイトで無料で誰でも見られるようになっているが、全編を見るには会費を払って有料会員にならなければ見せて貰えない。
というわけでその後半の一部分を連続静止画で見せる。全部見たい人は会員になってから見て下さい。さくらしめじファンの太っ腹なところを見せてやって下さい。
なんと満面の笑みを浮かべて歌っているひょうが君。
以前にも書いたが、まったく表情のない澄まし顔の綺麗なひとは、笑うとボロが出る。歯並びが悪かったり、シワがとんでもないところにできたり、、、。逆に笑い顔のいい人は、澄まし顔になると、急に陰気に見えたり、意地悪に見えたりする。
でもひょうが君はどちらもいい。これは希な存在だ。
例えばこの横並びの笑顔画像は可愛いし、一番上の澄まし顔は美少女よりはるかに綺麗だ。
さて、この横並びのいちばん最後の画像。曲の間奏の時の表情だ。
まずがく君が上から、ひょうが君の顔を覗き込む。するとひょうが君も下から見返す。すると、がく君のほうが何を思ったのか照れて、もしくは恥ずかしくなったのか顔をギターに伏せてしまう。
その様子を見ていたひょうが君は思わずニッコリと微笑み返す。まるで心穏やかならない親友をいたわるようなやさしい微笑み。悲母観音ごとく。
********************************
FM福井 smooth/さくらしめじ20150813
さくらしめじ なにかの下ごしらえ"その2”
【okmusic UP's Gallery】さくらしめじのすくすくスクール ~こくごの時間~ Vol.2「学山母狸のうた」