さくらしめじの田彪我君の事を思っていたら、山口百恵を思い出した。
だんだんと平静に戻りつつありますね。
でもまた来週の月曜日になるとお祭りになるかな。
先日、受けた衝撃は、ホント40数年ぶりの事だった。青春時代を思い出し、新鮮な気持ちを味わった。この年になってまたこんな気持ちを思い出させてくれたんだから、罪な人だ、彪我君は。
さて思い出話。
昭和49年。私は山口百恵のファンでした。どういうわけか私が好きになる女性タレントはボーイッシュな人が多いのです。(白井貴子や永井真理子ごく最近じゃ木村カエラ)
山口百恵は森昌子や桜田淳子とともに花の中三トリオと呼ばれ、人気がありましたが、いつも他の二人の人気に押され、第三位の順位に甘んじていました。
でもこの夏「ひと夏の経験」という昭和歌謡史に残る、超絶大ヒット曲に恵まれたのです。これで一気に形勢逆転、引退するまで、三人の中でずば抜けた人気を保つ事になるわけです。この後、正月映画の主役やゴールデンタイムのテレビドラマの主役を何年も続け、そして歌では紅白歌合戦紅組のトリも勤める事になるわけです。
「百恵チャン」という言葉は、「マドンナ」もしくは「プリンセス」などといった言葉と同義語・代名詞になっていくわけです。
さてこの昭和49年は歌だけでなく、初めて映画の主役を射止めました。「伊豆の踊子」です。田中絹代や吉永小百合といった大女優が若い頃に演じ、そのため将来性のある女優しか演じる事ができないといわれた映画です。ですから百恵チャンが主役を張る事に誰も異議を唱える事はありませんでした。
でもこの「伊豆の踊子」、いろいろと話題を提供してくれました。まず百恵ちゃんの相手役である学生の役を一般公募したのです。私も写真を送って応募しました。
でも結果的に選ばれたのは三浦友和というプロの俳優でした。これは話題作りのための出来レースだなと思いましたが、別に腹も立ちませんでした。よくある話ですから。それよりも三浦君のさわやかさが百恵チャンに合っていたのでそれほどの悔しさもありませんでした。
衝撃を受けたのは、百恵チャンのヌード事件ですね。川端康成の原作にもありますが、学生の姿を発見した踊り子が素裸のまま、露天風呂を飛び出してきて手を振るシーンです。当時は児童ポルノという概念が薄く、10代の若い子でもけっこうヌードになっていた時代です。(だからこそ百恵チャンみたいな清純派に人気がでたのです。)
もしかしたら百恵も脱ぐのではないか。歌っている歌も際どいものでした。脱いだって、文芸作品だから大丈夫、なんて声もありました。
でも15歳の高校一年生ですよ。ヌードになるのは絶対いやでしたし、反対でした。
でもテレビや芸能雑誌は盛り上がっていました。無責任なものです。でも、どう進行しているのか誰も教えてくれません。映画の封切り日が近くなるにしたがって、悶々とした気分がひどくなってきます。不思議な事にヌードで盛り上がっていた芸能雑誌が、単なる映画の説明だけをするようになりました。すべては映画を観てからという事でしょう。
「絶対観に行かない」青春の潔癖感がそう思わせました。
封切りしてからのしばらくは噂が広まりませんでした。でも少しずつ情報は聞こえてきました。
「やっぱり脱いでたんじゃない」とか「なんか着てた」とか「たいして写っていなかった」とか。
とあやふやな情報ばかり。「これは自分の目で確かめに行くしかない」
やっと決意できました。
映画館に行ってそのシーンを待ちました。きれいな音楽、きれいな景色、きれいな百恵チャンを堪能しました。そこでやっと件のそのシーン。
あっという間に終わりました。遠いところからのカメラが捉えた百恵チャン、たしかに風呂から飛び出してきて手を振っています。身体は肌色。本当に素裸かどうかは確認できませんでした。アップになった時は肩から上だけ。
結局それで終わり。
いったい何だったんだろう、そんな事を思う間もなく物語はどんどん進んでいきます。
映画を見終わってから、フッと溜息を吐き、あれはなんだったんだろうという虚無感と、そんなに悩む事はなかったという、後悔と安堵感。
二本立てですから、別の映画を何となく観てから、もう一度「伊豆の踊子」を見直しました。
例のシーン、もうどうでもよくなっていました。どう見たって、判断がつきません。判断つかなくてももう終わっている事ですもの。
もう一度見ました。今度はゆっくり文芸作品を堪能しました。百恵チャンのきれいな顔をじっくり見ました。あんまり芝居がうまくないなと、勝手な感想。
それからは誰も何にも言わなくなりました。結局本当にヌードになったのかどうかはわからずじまい。なっていたところで、そんなにいやらしいものではなかった。それは自分自身も感じている事でした。そのうち、この百恵友和のコンビでドラマが始まる事に話題が集中してゆきました。
かなり後になって、真相を聞く事ができました。その時の百恵チャンは肌色の水着を着ていたという事です。境目にドーランを塗って誤魔化していたそうです。
なんだそうか。済んだ事です。特別の感慨もなく聞いていました。だったらあんなに悩む事はなかった。あんなにホリプロや東宝を恨む事はなかった。
でも本当はやっぱりヌードになっていたんじゃないかってうがった思いもない事はなかった。
でもそれはどうでもいい事だった。
これ以後の山口百恵の活躍はそんなちっぽけな事など、どうでもいいように思わせるほどの大きなものだったから。
今から思えば、相手役公募もヌード騒ぎも映画の宣伝だったという事は大いに理解できる。結果、自分たちもそれに大いに乗ったわけだから。
でもそれ以上に感じる事は、周囲のスタッフが必要以上に気を使って、広報し、考え、準備をし、撮影していたという事である。小さな高校一年生の15歳の少女のために。
スタダはまだ、何も言わない、公式発表はない。でもそれが彪我君のためになるのだったら
ファンも何も言わずにドラマを楽しめばいいのではないかな。と思い始めました。
16日18時「菌活大陸」福島郡山編
頑張れ、ヒョウガ!!
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だんだんと平静に戻りつつありますね。
でもまた来週の月曜日になるとお祭りになるかな。
先日、受けた衝撃は、ホント40数年ぶりの事だった。青春時代を思い出し、新鮮な気持ちを味わった。この年になってまたこんな気持ちを思い出させてくれたんだから、罪な人だ、彪我君は。
さて思い出話。
昭和49年。私は山口百恵のファンでした。どういうわけか私が好きになる女性タレントはボーイッシュな人が多いのです。(白井貴子や永井真理子ごく最近じゃ木村カエラ)
山口百恵は森昌子や桜田淳子とともに花の中三トリオと呼ばれ、人気がありましたが、いつも他の二人の人気に押され、第三位の順位に甘んじていました。
でもこの夏「ひと夏の経験」という昭和歌謡史に残る、超絶大ヒット曲に恵まれたのです。これで一気に形勢逆転、引退するまで、三人の中でずば抜けた人気を保つ事になるわけです。この後、正月映画の主役やゴールデンタイムのテレビドラマの主役を何年も続け、そして歌では紅白歌合戦紅組のトリも勤める事になるわけです。
「百恵チャン」という言葉は、「マドンナ」もしくは「プリンセス」などといった言葉と同義語・代名詞になっていくわけです。
さてこの昭和49年は歌だけでなく、初めて映画の主役を射止めました。「伊豆の踊子」です。田中絹代や吉永小百合といった大女優が若い頃に演じ、そのため将来性のある女優しか演じる事ができないといわれた映画です。ですから百恵チャンが主役を張る事に誰も異議を唱える事はありませんでした。
でもこの「伊豆の踊子」、いろいろと話題を提供してくれました。まず百恵ちゃんの相手役である学生の役を一般公募したのです。私も写真を送って応募しました。
でも結果的に選ばれたのは三浦友和というプロの俳優でした。これは話題作りのための出来レースだなと思いましたが、別に腹も立ちませんでした。よくある話ですから。それよりも三浦君のさわやかさが百恵チャンに合っていたのでそれほどの悔しさもありませんでした。
衝撃を受けたのは、百恵チャンのヌード事件ですね。川端康成の原作にもありますが、学生の姿を発見した踊り子が素裸のまま、露天風呂を飛び出してきて手を振るシーンです。当時は児童ポルノという概念が薄く、10代の若い子でもけっこうヌードになっていた時代です。(だからこそ百恵チャンみたいな清純派に人気がでたのです。)
もしかしたら百恵も脱ぐのではないか。歌っている歌も際どいものでした。脱いだって、文芸作品だから大丈夫、なんて声もありました。
でも15歳の高校一年生ですよ。ヌードになるのは絶対いやでしたし、反対でした。
でもテレビや芸能雑誌は盛り上がっていました。無責任なものです。でも、どう進行しているのか誰も教えてくれません。映画の封切り日が近くなるにしたがって、悶々とした気分がひどくなってきます。不思議な事にヌードで盛り上がっていた芸能雑誌が、単なる映画の説明だけをするようになりました。すべては映画を観てからという事でしょう。
「絶対観に行かない」青春の潔癖感がそう思わせました。
封切りしてからのしばらくは噂が広まりませんでした。でも少しずつ情報は聞こえてきました。
「やっぱり脱いでたんじゃない」とか「なんか着てた」とか「たいして写っていなかった」とか。
とあやふやな情報ばかり。「これは自分の目で確かめに行くしかない」
やっと決意できました。
映画館に行ってそのシーンを待ちました。きれいな音楽、きれいな景色、きれいな百恵チャンを堪能しました。そこでやっと件のそのシーン。
あっという間に終わりました。遠いところからのカメラが捉えた百恵チャン、たしかに風呂から飛び出してきて手を振っています。身体は肌色。本当に素裸かどうかは確認できませんでした。アップになった時は肩から上だけ。
結局それで終わり。
いったい何だったんだろう、そんな事を思う間もなく物語はどんどん進んでいきます。
映画を見終わってから、フッと溜息を吐き、あれはなんだったんだろうという虚無感と、そんなに悩む事はなかったという、後悔と安堵感。
二本立てですから、別の映画を何となく観てから、もう一度「伊豆の踊子」を見直しました。
例のシーン、もうどうでもよくなっていました。どう見たって、判断がつきません。判断つかなくてももう終わっている事ですもの。
もう一度見ました。今度はゆっくり文芸作品を堪能しました。百恵チャンのきれいな顔をじっくり見ました。あんまり芝居がうまくないなと、勝手な感想。
それからは誰も何にも言わなくなりました。結局本当にヌードになったのかどうかはわからずじまい。なっていたところで、そんなにいやらしいものではなかった。それは自分自身も感じている事でした。そのうち、この百恵友和のコンビでドラマが始まる事に話題が集中してゆきました。
かなり後になって、真相を聞く事ができました。その時の百恵チャンは肌色の水着を着ていたという事です。境目にドーランを塗って誤魔化していたそうです。
なんだそうか。済んだ事です。特別の感慨もなく聞いていました。だったらあんなに悩む事はなかった。あんなにホリプロや東宝を恨む事はなかった。
でも本当はやっぱりヌードになっていたんじゃないかってうがった思いもない事はなかった。
でもそれはどうでもいい事だった。
これ以後の山口百恵の活躍はそんなちっぽけな事など、どうでもいいように思わせるほどの大きなものだったから。
今から思えば、相手役公募もヌード騒ぎも映画の宣伝だったという事は大いに理解できる。結果、自分たちもそれに大いに乗ったわけだから。
でもそれ以上に感じる事は、周囲のスタッフが必要以上に気を使って、広報し、考え、準備をし、撮影していたという事である。小さな高校一年生の15歳の少女のために。
スタダはまだ、何も言わない、公式発表はない。でもそれが彪我君のためになるのだったら
ファンも何も言わずにドラマを楽しめばいいのではないかな。と思い始めました。
16日18時「菌活大陸」福島郡山編
頑張れ、ヒョウガ!!
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