母が亡くなって一ヶ月余、さくらしめじを封印した理由
さくらしめじはその存在自体、または歌う曲が多くの人に癒しを与えるとか、慰められるとかそういった立場でとらえられている。
したがって、家族を亡くした悲しみや寂しさも癒されるのではないかと思われるかも知れない。
でも私は、このたび、母を亡くしてからはさくらしめじを封印した。CDも聴かなかったし、動画も見なかった。ネットではメール確認だけしていたが、その際にしめじの曲が流れてくる事もあったが極力、聞き流した。
その理由は二つある。
さくらしめじをこの雰囲気の中に混ぜたくない。
あまりにも明るくて、健康的なさくらしめじを、死の悲しみの癒やしに利用したくなかったからだ。
元気な姿の彼らと比較すると、なんとも、死というものは暗い。
まずこの暗さを直視しなければならないのだ。
それに、これからさくらしめじを見るたび、さくらしめじの曲を聴くたびに母の死を思い出すことになるからだ。
もうひとつの理由。
それは癒されることなく、慰められることなく、どっぷりと悲しみや寂しさに浸り、そしてそれを超越して、こころのけじめをつけたかったから。
80数年生きた母の人生を振り返り、ここ数年の介護生活を総括し、入院してから亡くなるまでの数ヶ月を反省するためには癒やしは必要なかったのだ。
(ただ、この間、癒やしは必要なかったが一つだけ繰り返し繰り返し見たビデオがある。この話は後日、まとめてみたい。)
悲しみにどっぷり浸かることはかなりのエネルギーを消費した。
特に介護を始めてからの数年間を振り返って、自分は本当に満足できる介護ができたのだろうか。もう少し息子として親身に、積極的に関わりをもったほうが良かったのではないか。などと、まず反省するところから始まった。
でも、いやいや、それではこちら身が持たない。
常にお互いの健康状態を見定め、おたがいのスケジュールを照らし合わせ、天候や社会状況を考慮し、総合的に判断して世話をしてきた結果ではなかったか。
それで満足のできる介護ができなかったとしてもそれはそれで、しかたないことではなかったか。
実際よく喧嘩をした。相手に痴呆があるのだから適当に聞き逃せばいい事でも理屈っぽく反論することがよくあった。
子どもの時は遠慮して言えなかった本音も言うこともあった。
性的な話で誤解を生むこともあった。
そんなことを思い出すたび、笑い、泣き、最後にむなしくなる。
良きにつけ、悪しきにつけ、密度の濃い親子関係を持つことができた。
思い出と後悔と懺悔と言い訳と陳謝が頭のなかを駆け巡った一ヶ月であった。
そういった複雑怪奇な精神状態の中にさくらしめじを放り込みなかったのでね。
さくらしめじの菌曜すてーしょん 2017.06.23
https://freshlive.tv/stardust_ch/127285
さくらしめじはその存在自体、または歌う曲が多くの人に癒しを与えるとか、慰められるとかそういった立場でとらえられている。
したがって、家族を亡くした悲しみや寂しさも癒されるのではないかと思われるかも知れない。
でも私は、このたび、母を亡くしてからはさくらしめじを封印した。CDも聴かなかったし、動画も見なかった。ネットではメール確認だけしていたが、その際にしめじの曲が流れてくる事もあったが極力、聞き流した。
その理由は二つある。
さくらしめじをこの雰囲気の中に混ぜたくない。
あまりにも明るくて、健康的なさくらしめじを、死の悲しみの癒やしに利用したくなかったからだ。
元気な姿の彼らと比較すると、なんとも、死というものは暗い。
まずこの暗さを直視しなければならないのだ。
それに、これからさくらしめじを見るたび、さくらしめじの曲を聴くたびに母の死を思い出すことになるからだ。
もうひとつの理由。
それは癒されることなく、慰められることなく、どっぷりと悲しみや寂しさに浸り、そしてそれを超越して、こころのけじめをつけたかったから。
80数年生きた母の人生を振り返り、ここ数年の介護生活を総括し、入院してから亡くなるまでの数ヶ月を反省するためには癒やしは必要なかったのだ。
(ただ、この間、癒やしは必要なかったが一つだけ繰り返し繰り返し見たビデオがある。この話は後日、まとめてみたい。)
悲しみにどっぷり浸かることはかなりのエネルギーを消費した。
特に介護を始めてからの数年間を振り返って、自分は本当に満足できる介護ができたのだろうか。もう少し息子として親身に、積極的に関わりをもったほうが良かったのではないか。などと、まず反省するところから始まった。
でも、いやいや、それではこちら身が持たない。
常にお互いの健康状態を見定め、おたがいのスケジュールを照らし合わせ、天候や社会状況を考慮し、総合的に判断して世話をしてきた結果ではなかったか。
それで満足のできる介護ができなかったとしてもそれはそれで、しかたないことではなかったか。
実際よく喧嘩をした。相手に痴呆があるのだから適当に聞き逃せばいい事でも理屈っぽく反論することがよくあった。
子どもの時は遠慮して言えなかった本音も言うこともあった。
性的な話で誤解を生むこともあった。
そんなことを思い出すたび、笑い、泣き、最後にむなしくなる。
良きにつけ、悪しきにつけ、密度の濃い親子関係を持つことができた。
思い出と後悔と懺悔と言い訳と陳謝が頭のなかを駆け巡った一ヶ月であった。
そういった複雑怪奇な精神状態の中にさくらしめじを放り込みなかったのでね。
さくらしめじの菌曜すてーしょん 2017.06.23
https://freshlive.tv/stardust_ch/127285