29日は東京・光が丘でのさくらしめじファンの集い(きのこりあんの集いという)に参加してきました。2部制でしたが、両方とも行きました。
ふつうのライブイベントではなく、しめじの歌をリクエストで決めるといった企画もありましたし、カラオケで他の歌手の歌も歌うといった企画もあったのですが、詳しくはネットニュースで。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171229-00000013-exmusic-musi
https://natalie.mu/music/news/263455
https://ilip.jp/I0002861
まあ、楽しかったです。
でも考えてみれば、さくらしめじといえば、まだ15歳と16歳の高校1年生。にもかかわらず、500人の観客相手に堂々としたエンターテイナーぶりでした。歌も歌い、演奏もし、MCもする。時には漫談、コント、カラオケ等。
臆せず会を司る二人。これはきのこりあんというファンが醸し出すゆったりまったりとした自由な雰囲気がそれを後押ししたからでしょうし、そんなきのこりあんも彼らの人徳、生まれながらの資質に影響された結果でしょう。互助関係が成り立っている。
さてそんな中で気になった曲が「ぎふと」。
この曲、彼等が中学二年生の時の作品で、母の日と親孝行をテーマに歌ったものでした。CD化もされていないし、当時まだ声変わりしていない彪我君の舌っ足らずの甘くて高い声が印象的でした。そういった関係か、最近のライブでは歌われることもなく、伝説の曲のようになっていました。
子供の歌だからもう歌わないのかな、声変わりしたから歌えなくなったのか?
そう思っていた矢先、ファンからのリクエスト。それに答えて、歌ってくれるかちょっと楽しみでした。歌うとしたらどんな「ぎふと」になってるだろう?興味は尽きないばかりでした。
結果、無難に歌ってくれました。音楽の専門的なことはわかりませんが、きっと声に高さに合わせて、歌いやすいようにしたんだろうなとか・・・思って。
でも注目するところがそれとは別のところにありました。
歌詞も変わっていません、メロディーももちろん変わっていません。でも彼らのその歌に対する姿勢というか気持の入れようが半端なく重たいものでした。
中二の頃。子供が母に対する感謝を歌った曲ですが、そこにはまだ甘えというか、子供らしさがありましたが、今回、彼等も高校一年になって、親や親孝行に対する並々ならぬ責任感のようなものを現実的に感じているのか、そのひたむきさがひしひしと伝わってきたのです。
中二はまだ、親に養ってもらってもおかしくない年令。でも高一は親を養っていてもおかしくない年令。
2年の間に親孝行に対する考え方を成長させていたのです。
重たいステージでした。
ステージの底が抜けるかと思うくらいの重たい時空間でした。
歌詞の一部です。
「当たり前に暮らしていても一人じゃ生きれない たくさん心配かけているよね こんな僕だけど こんな頼りないけど いつかきっと返すから、たくさんの愛情を・・・たくさんの笑顔を約束するから・・・」
「いつかきっと」 この「いつか」が限りなく近づいているわけですよね
成長しようとする喜びと、大人になってしまう、という現実に対する心細さ。いろんな事がない交ぜになった「ぎふと」でした。
2年前の「ぎふと」のMV。 動画サイトでは途中までしか聴けません。
「ぎふと」の歌詞
https://utaten.com/lyric/%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%97%E3%82%81%E3%81%98/%E3%81%8E%E3%81%B5%E3%81%A8/
最近の二人。
今年は、個人的には、母が亡くなるという、大きな出来事があり、最高の哀しみを感じつつも、ある意味、私を自由にしてくれた、大きな母の愛情を感じた半年でもありました。
2018年はどなたにとってもいい年でありますように。
ふつうのライブイベントではなく、しめじの歌をリクエストで決めるといった企画もありましたし、カラオケで他の歌手の歌も歌うといった企画もあったのですが、詳しくはネットニュースで。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171229-00000013-exmusic-musi
https://natalie.mu/music/news/263455
https://ilip.jp/I0002861
まあ、楽しかったです。
でも考えてみれば、さくらしめじといえば、まだ15歳と16歳の高校1年生。にもかかわらず、500人の観客相手に堂々としたエンターテイナーぶりでした。歌も歌い、演奏もし、MCもする。時には漫談、コント、カラオケ等。
臆せず会を司る二人。これはきのこりあんというファンが醸し出すゆったりまったりとした自由な雰囲気がそれを後押ししたからでしょうし、そんなきのこりあんも彼らの人徳、生まれながらの資質に影響された結果でしょう。互助関係が成り立っている。
さてそんな中で気になった曲が「ぎふと」。
この曲、彼等が中学二年生の時の作品で、母の日と親孝行をテーマに歌ったものでした。CD化もされていないし、当時まだ声変わりしていない彪我君の舌っ足らずの甘くて高い声が印象的でした。そういった関係か、最近のライブでは歌われることもなく、伝説の曲のようになっていました。
子供の歌だからもう歌わないのかな、声変わりしたから歌えなくなったのか?
そう思っていた矢先、ファンからのリクエスト。それに答えて、歌ってくれるかちょっと楽しみでした。歌うとしたらどんな「ぎふと」になってるだろう?興味は尽きないばかりでした。
結果、無難に歌ってくれました。音楽の専門的なことはわかりませんが、きっと声に高さに合わせて、歌いやすいようにしたんだろうなとか・・・思って。
でも注目するところがそれとは別のところにありました。
歌詞も変わっていません、メロディーももちろん変わっていません。でも彼らのその歌に対する姿勢というか気持の入れようが半端なく重たいものでした。
中二の頃。子供が母に対する感謝を歌った曲ですが、そこにはまだ甘えというか、子供らしさがありましたが、今回、彼等も高校一年になって、親や親孝行に対する並々ならぬ責任感のようなものを現実的に感じているのか、そのひたむきさがひしひしと伝わってきたのです。
中二はまだ、親に養ってもらってもおかしくない年令。でも高一は親を養っていてもおかしくない年令。
2年の間に親孝行に対する考え方を成長させていたのです。
重たいステージでした。
ステージの底が抜けるかと思うくらいの重たい時空間でした。
歌詞の一部です。
「当たり前に暮らしていても一人じゃ生きれない たくさん心配かけているよね こんな僕だけど こんな頼りないけど いつかきっと返すから、たくさんの愛情を・・・たくさんの笑顔を約束するから・・・」
「いつかきっと」 この「いつか」が限りなく近づいているわけですよね
成長しようとする喜びと、大人になってしまう、という現実に対する心細さ。いろんな事がない交ぜになった「ぎふと」でした。
2年前の「ぎふと」のMV。 動画サイトでは途中までしか聴けません。
「ぎふと」の歌詞
https://utaten.com/lyric/%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%97%E3%82%81%E3%81%98/%E3%81%8E%E3%81%B5%E3%81%A8/
最近の二人。
今年は、個人的には、母が亡くなるという、大きな出来事があり、最高の哀しみを感じつつも、ある意味、私を自由にしてくれた、大きな母の愛情を感じた半年でもありました。
2018年はどなたにとってもいい年でありますように。