この間の日曜日、NHKで都道府県対抗女子駅伝を見た。
他に見るものがなかったし、一見、男の子が走っているように錯覚してしまったから。
スポーツをやっている女子というのは、さすがに丸刈りはないけれど、ショートカットまたはボーイッシュカットといわれるヘアスタイルをしている女子が多い。
上半身だけ見ると小学生の男の子に見える選手がいる。
もっとも、下半身が映し出されると、女子だということがすぐにわかった。
上半身は細くて、腕も細い。肩も薄くて、首も細い。でも下半身、特に臀部は極端に大きく、横に広がっている。その臀部から伸びる下肢は太短い。てきめん女子と判断できる。男の子の下半身は臀部が小さく、切れ上がっている。そこから伸びる下肢も細くて長い。
たまに可愛い子がいると、あーこの子が男の子だったらなーとため息を吐いてしまう。
「少年愛」についてこんな事をいう人がいた。
「女性を愛さず、少年を愛する人は、人間的にどこか欠けている。本人自身が大人になりきれず、大人の女性を愛することに恐れて、自分のいうままになる少年を愛してしまう。たしかに大人の女性が男装すると、少年に見えてしまう。」
でもこの考え方は逆だと思う。
本来、大人の男性は少年を愛することが普通だった。これは今でいう恋愛の相手とか性交の相手というものではない。精神的な愛の対象ということだ。いわゆる、師と弟子。先輩と後輩。兄と弟。上司と部下。先生と生徒。殿様と小姓。こういった関係だ。
愛の対象は少年だけで充分だった。
しかし、種族の保存、子孫を作るためには、女性と交わらなければならなかった。そこで結婚という制度ができた。愛がなくても結婚はできるし、子供を作ることができる。
しかし時代はくだって、「少年」という子供に対して、愛を求めることがむつかしい時代になると、男性は仕方なく「少年」に容姿や声がよく似た「女性」を愛するようになったのだ。本来は子孫を作るためだけの「女性」を、愛するようになったのだ。
その頃から、恋愛→結婚→出産という構図ができてしまったため、いつの間にか少年を愛することが邪道といわれるようになってしまったのだ。「少年」は出産できないから。
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爆風スランプ Runner
他に見るものがなかったし、一見、男の子が走っているように錯覚してしまったから。
スポーツをやっている女子というのは、さすがに丸刈りはないけれど、ショートカットまたはボーイッシュカットといわれるヘアスタイルをしている女子が多い。
上半身だけ見ると小学生の男の子に見える選手がいる。
もっとも、下半身が映し出されると、女子だということがすぐにわかった。
上半身は細くて、腕も細い。肩も薄くて、首も細い。でも下半身、特に臀部は極端に大きく、横に広がっている。その臀部から伸びる下肢は太短い。てきめん女子と判断できる。男の子の下半身は臀部が小さく、切れ上がっている。そこから伸びる下肢も細くて長い。
たまに可愛い子がいると、あーこの子が男の子だったらなーとため息を吐いてしまう。
「少年愛」についてこんな事をいう人がいた。
「女性を愛さず、少年を愛する人は、人間的にどこか欠けている。本人自身が大人になりきれず、大人の女性を愛することに恐れて、自分のいうままになる少年を愛してしまう。たしかに大人の女性が男装すると、少年に見えてしまう。」
でもこの考え方は逆だと思う。
本来、大人の男性は少年を愛することが普通だった。これは今でいう恋愛の相手とか性交の相手というものではない。精神的な愛の対象ということだ。いわゆる、師と弟子。先輩と後輩。兄と弟。上司と部下。先生と生徒。殿様と小姓。こういった関係だ。
愛の対象は少年だけで充分だった。
しかし、種族の保存、子孫を作るためには、女性と交わらなければならなかった。そこで結婚という制度ができた。愛がなくても結婚はできるし、子供を作ることができる。
しかし時代はくだって、「少年」という子供に対して、愛を求めることがむつかしい時代になると、男性は仕方なく「少年」に容姿や声がよく似た「女性」を愛するようになったのだ。本来は子孫を作るためだけの「女性」を、愛するようになったのだ。
その頃から、恋愛→結婚→出産という構図ができてしまったため、いつの間にか少年を愛することが邪道といわれるようになってしまったのだ。「少年」は出産できないから。
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