戦争の時の話。
終戦記念日です。戦争の時の話をします。
といっても私自身戦争を経験したわけではありません。
でも私が子供の頃の周りの大人はすべて戦争を経験しているのです。
だから、そのつらさ、悲惨さを知っているから、ひとりとして、戦争をやろうなどとバカな事をいう人はひとりもいませんでした。
そんなひとり、母がいつも話してくれた経験談です。母親ももう85歳です。戦争を経験した人の話をこのまま埋もれさせてしまうのがもったいないと思ったので、ここで話をします。
というわけで今日は字ばかりです。
少年に関わる話です。
もう終戦間近になっていた頃です。昭和19年頃でしょうか。映画やテレビで見られたことがあると思いますが、終戦間近になると、アメリカの爆撃機が日本本土を空襲していました。始めの頃は空襲警報が鳴って、米軍機の襲来を教えてくれたのですが、最後のほうになるとその警報もなくなりました。
つまりアメリカの爆撃機が好きなときに、日本の本土の好きなところを爆撃しており、日本人はその爆撃が始まる直前まで、何も知らされなかったのです。突然、爆弾の雨にさらされたという事です。
母はその頃まだ独身でした。いつものように朝起きて、職場へ向かっていました。
電車に乗って職場へ行くと、驚きました。
事務所の建物が黒く焼け焦げていたということです。
今朝、米軍機の空襲でやられた。そう、誰かが話をしてくれました。
おたがいに顔を見合わせて、命が助かった事を喜び合いました。
○○君はどうしたのだろう。 どこからともなくそんな声が上がりました。
○○君というのは給仕さんでした。給仕というのは職場に朝早く、いちばんに来て、掃除をしたり、湯茶の用意をしたりする職種のことです。
仕事の内容が簡単なものですから、義務教育の学校を出たばかりの若い子がその役にあたっていたそうです。当時の義務教育は小学校だけですから、○○君は13、4歳くらいだったということです。
その○○君の姿が見えません。みんなの心に不穏な空気が流れました。
爆撃されたちょうどその時間に、毎日、○○君は出社していたのです。
職場の人たちは○○君の名前を呼びながら、焦臭い職場の中に探しに入っていきました。
しばらくして、誰かが叫びました。
あった!!
何があったのかと、みんながそこへ集まっていきました。
叫んだ人は小さな布きれを持って、立ち尽くしていました。その小さな布きれは周囲が焦げていました。
そして○○君の名前が書いてあったのです。給仕の制服の胸元に縫い付けてあった名札でした。
みんなはそれで、彼の身に何があったのか悟ったのでした。
米軍の爆撃機が落とした爆弾が彼の身体に直撃したのです。
あっ! という間もなかったでしょう。彼の身体に上に落ちた爆弾は、その直後爆発し、彼の身体を粉砕したのです。
制服も、皮膚も、肉も、骨も、血も、内臓も細かく砕かれ、四方八方に散っていったものと思われました。
焦げ臭いそこの空気が、一瞬にして生臭く感じたようでした。
それからどんなに探しても、どんなに待っても彼は帰ってこなかったいうことです。
でもこの時代、こうのようにして死んでいった人が、何万人もいたことでしょう。
この話を子供の頃聞いて、私はこう思いました。
現代、殺人事件が起こればニュースで報道されます。でもこの時代、人が死んだっていちいち報道されません。
戦争をしているのだから仕方がない。
ではなぜ、戦争をしなければならなかったのか。
非戦闘員である給仕の少年がなぜ死ななければならなかったのか。
政治家達はどうしていたのでしょう。軍隊の偉い人たちはどうしていたのでしょうか。
国を守るということは、国民の命を守るということではなかったでしょうか。
終戦記念日です。戦争の時の話をします。
といっても私自身戦争を経験したわけではありません。
でも私が子供の頃の周りの大人はすべて戦争を経験しているのです。
だから、そのつらさ、悲惨さを知っているから、ひとりとして、戦争をやろうなどとバカな事をいう人はひとりもいませんでした。
そんなひとり、母がいつも話してくれた経験談です。母親ももう85歳です。戦争を経験した人の話をこのまま埋もれさせてしまうのがもったいないと思ったので、ここで話をします。
というわけで今日は字ばかりです。
少年に関わる話です。
もう終戦間近になっていた頃です。昭和19年頃でしょうか。映画やテレビで見られたことがあると思いますが、終戦間近になると、アメリカの爆撃機が日本本土を空襲していました。始めの頃は空襲警報が鳴って、米軍機の襲来を教えてくれたのですが、最後のほうになるとその警報もなくなりました。
つまりアメリカの爆撃機が好きなときに、日本の本土の好きなところを爆撃しており、日本人はその爆撃が始まる直前まで、何も知らされなかったのです。突然、爆弾の雨にさらされたという事です。
母はその頃まだ独身でした。いつものように朝起きて、職場へ向かっていました。
電車に乗って職場へ行くと、驚きました。
事務所の建物が黒く焼け焦げていたということです。
今朝、米軍機の空襲でやられた。そう、誰かが話をしてくれました。
おたがいに顔を見合わせて、命が助かった事を喜び合いました。
○○君はどうしたのだろう。 どこからともなくそんな声が上がりました。
○○君というのは給仕さんでした。給仕というのは職場に朝早く、いちばんに来て、掃除をしたり、湯茶の用意をしたりする職種のことです。
仕事の内容が簡単なものですから、義務教育の学校を出たばかりの若い子がその役にあたっていたそうです。当時の義務教育は小学校だけですから、○○君は13、4歳くらいだったということです。
その○○君の姿が見えません。みんなの心に不穏な空気が流れました。
爆撃されたちょうどその時間に、毎日、○○君は出社していたのです。
職場の人たちは○○君の名前を呼びながら、焦臭い職場の中に探しに入っていきました。
しばらくして、誰かが叫びました。
あった!!
何があったのかと、みんながそこへ集まっていきました。
叫んだ人は小さな布きれを持って、立ち尽くしていました。その小さな布きれは周囲が焦げていました。
そして○○君の名前が書いてあったのです。給仕の制服の胸元に縫い付けてあった名札でした。
みんなはそれで、彼の身に何があったのか悟ったのでした。
米軍の爆撃機が落とした爆弾が彼の身体に直撃したのです。
あっ! という間もなかったでしょう。彼の身体に上に落ちた爆弾は、その直後爆発し、彼の身体を粉砕したのです。
制服も、皮膚も、肉も、骨も、血も、内臓も細かく砕かれ、四方八方に散っていったものと思われました。
焦げ臭いそこの空気が、一瞬にして生臭く感じたようでした。
それからどんなに探しても、どんなに待っても彼は帰ってこなかったいうことです。
でもこの時代、こうのようにして死んでいった人が、何万人もいたことでしょう。
この話を子供の頃聞いて、私はこう思いました。
現代、殺人事件が起こればニュースで報道されます。でもこの時代、人が死んだっていちいち報道されません。
戦争をしているのだから仕方がない。
ではなぜ、戦争をしなければならなかったのか。
非戦闘員である給仕の少年がなぜ死ななければならなかったのか。
政治家達はどうしていたのでしょう。軍隊の偉い人たちはどうしていたのでしょうか。
国を守るということは、国民の命を守るということではなかったでしょうか。