上村遼太君が殺害されてから一年
きのうのYAHOOニュースにこんな記事がありました。
「遼太君の花壇」悲しい撤去…川崎中1殺害から11か月
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160131-00000040-sph-soci
川崎市川崎区の多摩川河川敷で昨年2月、中学1年の上村遼太君(当時13歳)が殺害された事件で、殺人と傷害の罪に問われたリーダー格とされる無職少年(19)の裁判員裁判が、2月2日から横浜地裁で始まる。少年は起訴内容を認めるとみられ、情状と量刑が焦点になる。一方、上村君が殺害された河川敷には、事件後多くの人が供養に訪れ、今も訪れる人が後を絶たない。だが、現場にボランティアが作った「遼太君の花壇」をめぐり、行政との悲しい行き違いが起きていることが分かった。
事件から11か月。上村君の月命日となった今月20日、多摩川河川敷には約30人が訪れ、献花や焼香をし死を悼んだ。上村君が絶命したと思われる現場付近にある花壇には、約40本の菜の花が揺れていた。花壇は「この河川敷がさみしい場所にならないように」と、事件以降、川崎市の橘内(きつない)達夫さん(72)らボランティアが、近くの川辺から抜いてきた野草などを植えて作った。だが、ささやかな思いが込められたこの花壇をめぐり、ボランティアらと川崎市のすれ違いが起きている。
昨年2月に起きた事件直後、全国から多くの人が連日駆け付け、河川敷は花束、供物などで山のようになった。一方で、ごみが散乱するなどしたため、十数人のボランティアが毎日清掃するようになった。高さ約70センチの大きさの地蔵も置かれ、“供養の地”となった。
しかし、上村君の母親が「死を受け入れられず現場に足を運ぶことができない。報道されるたび、遼太が暗く寂しい河川敷に縛られているようで悲しい」とした上で「事件前の何もなかった姿に戻してほしい」と土地を所有する川崎市に要望。枯れた献花が燃える放火騒動(2月と4月)が起きたこともあり、市は6月末に献花台や供物を撤去した。ただ、献花台とは離れた花壇に植えられたヒマワリ約20本は、撤去されなかった。
橘内さんの孫は上村君とは小学校時代の同級生。「孫が他の子からちょっかい出されているところを、転校してきたばかりの遼太君が『やめろ』と救ってくれた」。上村君の人柄に心打たれた橘内さんは、毎日のように現場を掃除しながら見守ってきた。ところが、8月上旬に花壇からヒマワリが撤去された。「市は『だめだ』と言ってないのに、なぜ…」。その後、菜の花などを花壇に植える度に、通告なしに撤去される事態が続いているという。
河川敷を管理する市建設緑政局の担当者は撤去の理由について「(事件現場付近に)花などが植えられていると、訪れた人々が供花や供物を置いていく可能性がある」と説明した。献花台が撤去されて以降、上村君の母親から市に対し、花壇について撤去してほしいなどの要望はないという。
現場付近の歩道は街灯が少なく、夜間人通りがほとんどない。焼香に訪れた地元の40代女性は「夜は歩くのが怖い。雑草が伸びると辺りが薄気味悪くなる。でも花壇があると明るい雰囲気になるし、遼太君も喜ぶと思う」と話した。
今月20日に咲いていた菜の花は、28日には撤去されていた。橘内さんは「2月20日は遼太君の一周忌。友人たちも来るだろうし、花があると心が和む。行政には迷惑かもしれないが、割り切ることができない」。今後も花を植え続けるつもりという。(江畑 康二郎)
去年の2月、ひじょうに悲しい事件がありました。
「川崎市中1男子生徒殺害事件(かわさきしちゅういちだんしせいとさつがいじけん)とは、2015年(平成27年)2月20日に神奈川県川崎市川崎区港町の多摩川河川敷で13歳の中学1年生の少年Aが殺害され、遺体を遺棄された事件。事件から1週間後に少年3名が殺人容疑で逮捕された少年犯罪である。」以上Wikipediaより。
当時、彼も非行の仲間に入っていたといえ、心も身体もまだ子供、大人や年上の人間の指導によってはいくらでも更生できる立場にあったわけです。
ここで芸能界の話を持ち出すのは気が引けますが、中学1年といえば田彪我君と同い年という事で、当時は気が重く、記事を読んだものです。
私はブログでその時の気持ちを語らせて貰っています。
http://blogs.yahoo.co.jp/suiseibank/19830522.html
さて、1年経って、今年1月、田彪我君はドラマで「浩太」という少年の役をすることになりました。親の愛情を受けず、登校拒否をしている自閉的な少年の役です。まわりの大人の対応によっては犯罪に巻き込まれる可能性のある役です。
そんな、名前と役柄を見て、1年前の上村遼太君の事を何となく思い出したのですが、事件発生してから約1年、上記の記事が目に止まりました。なんか因縁めいた感じがします。
さて上の記事ですが、どう思うでしょうか。
私は、なんか皆、勝手だなーと思うのです。
本人はもう死んでしまって何も言えない状態です。何をしたって答えてはくれません。
遺族は、「遼太が暗く寂しい河川敷に縛られているようで悲しい」とした上で「事件前の何もなかった姿に戻してほしい」と要望。
そうかも知れないけれど、せっかくのボランティアの供養の気持ちも理解してあげたらと思うのですが。
逆に、ボランティアは「この河川敷がさみしい場所にならないように」と花壇を作り続けていますが、遺族の気持ちを理解しているのでしょうか。別の形で貢献できないでしょうか。
行政は河川敷の整備のためといいますが、それではちゃんとした慰霊の場所を儲けてもいいのではないでしょうか。
必要なのは遼太君のような犠牲者が出ないようにすることが大事なのではないでしょうか。
遼太君には4人兄弟がいるといいます。母親はこの子供達をしっかり育てているでしょうか。
ボランティアや近所の人たちは子供達が悪の道に迷い込まないようにパトロールしたり、子供達を指導しているでしょうか。
行政や学校は、学校から帰ったあとの子供達の居場所を把握できているでしょうか。
貧困状態にある子供達はお腹いっぱい御飯を食べられているでしょうか。
塾へ、夜遅くまで行っている子供達は安全でしょうか。
大人の眼の届かない所で、第二の遼太君が生まれているかも知れません。
花だけ飾っているだけでは、自己満足と思われても仕方がありません。今生きている子供達が悪の道に踏み込まないようにすることこそ、遼太君の供養になると思うのですが・・・。
中学1年生くらい子は、まだまだ子供。大人や年上の人が正しく指導すれば悪い道には入っていきません。
きのうのYAHOOニュースにこんな記事がありました。
「遼太君の花壇」悲しい撤去…川崎中1殺害から11か月
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160131-00000040-sph-soci
川崎市川崎区の多摩川河川敷で昨年2月、中学1年の上村遼太君(当時13歳)が殺害された事件で、殺人と傷害の罪に問われたリーダー格とされる無職少年(19)の裁判員裁判が、2月2日から横浜地裁で始まる。少年は起訴内容を認めるとみられ、情状と量刑が焦点になる。一方、上村君が殺害された河川敷には、事件後多くの人が供養に訪れ、今も訪れる人が後を絶たない。だが、現場にボランティアが作った「遼太君の花壇」をめぐり、行政との悲しい行き違いが起きていることが分かった。
事件から11か月。上村君の月命日となった今月20日、多摩川河川敷には約30人が訪れ、献花や焼香をし死を悼んだ。上村君が絶命したと思われる現場付近にある花壇には、約40本の菜の花が揺れていた。花壇は「この河川敷がさみしい場所にならないように」と、事件以降、川崎市の橘内(きつない)達夫さん(72)らボランティアが、近くの川辺から抜いてきた野草などを植えて作った。だが、ささやかな思いが込められたこの花壇をめぐり、ボランティアらと川崎市のすれ違いが起きている。
昨年2月に起きた事件直後、全国から多くの人が連日駆け付け、河川敷は花束、供物などで山のようになった。一方で、ごみが散乱するなどしたため、十数人のボランティアが毎日清掃するようになった。高さ約70センチの大きさの地蔵も置かれ、“供養の地”となった。
しかし、上村君の母親が「死を受け入れられず現場に足を運ぶことができない。報道されるたび、遼太が暗く寂しい河川敷に縛られているようで悲しい」とした上で「事件前の何もなかった姿に戻してほしい」と土地を所有する川崎市に要望。枯れた献花が燃える放火騒動(2月と4月)が起きたこともあり、市は6月末に献花台や供物を撤去した。ただ、献花台とは離れた花壇に植えられたヒマワリ約20本は、撤去されなかった。
橘内さんの孫は上村君とは小学校時代の同級生。「孫が他の子からちょっかい出されているところを、転校してきたばかりの遼太君が『やめろ』と救ってくれた」。上村君の人柄に心打たれた橘内さんは、毎日のように現場を掃除しながら見守ってきた。ところが、8月上旬に花壇からヒマワリが撤去された。「市は『だめだ』と言ってないのに、なぜ…」。その後、菜の花などを花壇に植える度に、通告なしに撤去される事態が続いているという。
河川敷を管理する市建設緑政局の担当者は撤去の理由について「(事件現場付近に)花などが植えられていると、訪れた人々が供花や供物を置いていく可能性がある」と説明した。献花台が撤去されて以降、上村君の母親から市に対し、花壇について撤去してほしいなどの要望はないという。
現場付近の歩道は街灯が少なく、夜間人通りがほとんどない。焼香に訪れた地元の40代女性は「夜は歩くのが怖い。雑草が伸びると辺りが薄気味悪くなる。でも花壇があると明るい雰囲気になるし、遼太君も喜ぶと思う」と話した。
今月20日に咲いていた菜の花は、28日には撤去されていた。橘内さんは「2月20日は遼太君の一周忌。友人たちも来るだろうし、花があると心が和む。行政には迷惑かもしれないが、割り切ることができない」。今後も花を植え続けるつもりという。(江畑 康二郎)
去年の2月、ひじょうに悲しい事件がありました。
「川崎市中1男子生徒殺害事件(かわさきしちゅういちだんしせいとさつがいじけん)とは、2015年(平成27年)2月20日に神奈川県川崎市川崎区港町の多摩川河川敷で13歳の中学1年生の少年Aが殺害され、遺体を遺棄された事件。事件から1週間後に少年3名が殺人容疑で逮捕された少年犯罪である。」以上Wikipediaより。
当時、彼も非行の仲間に入っていたといえ、心も身体もまだ子供、大人や年上の人間の指導によってはいくらでも更生できる立場にあったわけです。
ここで芸能界の話を持ち出すのは気が引けますが、中学1年といえば田彪我君と同い年という事で、当時は気が重く、記事を読んだものです。
私はブログでその時の気持ちを語らせて貰っています。
http://blogs.yahoo.co.jp/suiseibank/19830522.html
さて、1年経って、今年1月、田彪我君はドラマで「浩太」という少年の役をすることになりました。親の愛情を受けず、登校拒否をしている自閉的な少年の役です。まわりの大人の対応によっては犯罪に巻き込まれる可能性のある役です。
そんな、名前と役柄を見て、1年前の上村遼太君の事を何となく思い出したのですが、事件発生してから約1年、上記の記事が目に止まりました。なんか因縁めいた感じがします。
さて上の記事ですが、どう思うでしょうか。
私は、なんか皆、勝手だなーと思うのです。
本人はもう死んでしまって何も言えない状態です。何をしたって答えてはくれません。
遺族は、「遼太が暗く寂しい河川敷に縛られているようで悲しい」とした上で「事件前の何もなかった姿に戻してほしい」と要望。
そうかも知れないけれど、せっかくのボランティアの供養の気持ちも理解してあげたらと思うのですが。
逆に、ボランティアは「この河川敷がさみしい場所にならないように」と花壇を作り続けていますが、遺族の気持ちを理解しているのでしょうか。別の形で貢献できないでしょうか。
行政は河川敷の整備のためといいますが、それではちゃんとした慰霊の場所を儲けてもいいのではないでしょうか。
必要なのは遼太君のような犠牲者が出ないようにすることが大事なのではないでしょうか。
遼太君には4人兄弟がいるといいます。母親はこの子供達をしっかり育てているでしょうか。
ボランティアや近所の人たちは子供達が悪の道に迷い込まないようにパトロールしたり、子供達を指導しているでしょうか。
行政や学校は、学校から帰ったあとの子供達の居場所を把握できているでしょうか。
貧困状態にある子供達はお腹いっぱい御飯を食べられているでしょうか。
塾へ、夜遅くまで行っている子供達は安全でしょうか。
大人の眼の届かない所で、第二の遼太君が生まれているかも知れません。
花だけ飾っているだけでは、自己満足と思われても仕方がありません。今生きている子供達が悪の道に踏み込まないようにすることこそ、遼太君の供養になると思うのですが・・・。
中学1年生くらい子は、まだまだ子供。大人や年上の人が正しく指導すれば悪い道には入っていきません。